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Channel: 千島土地 アーカイブ・ブログ
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甲東園と芝川家5 芝川又右衛門邸

さて、前回の記事では芝川又右衛門邸「洋館」と昭和2年に増築された「和館」についてご紹介しました。 しかし、明治44年に「洋館」が建設されて以来、その周りには様々な建物が建てられ、庭園が造られていきました。こうして整備された「甲東園芝川邸」の面積は7,500坪にも及んだといわれています。...

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甲東園と芝川家6 阪急電鉄の開通

芝川又右衛門が別邸を構えた当時の甲東園へのアクセスの悪さについては「甲東園と芝川家4 芝川又右衛門邸の建設」でも触れました。 しかし、1920(大正9)年に阪神急行電鉄神戸本線(現・阪急電鉄神戸線)に引き続き、翌1921年には西宝線(現・阪急電鉄今津線)が開通。1922年に「甲東園前停車場」(現・甲東園駅)が設置されます。...

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甲東園と芝川家7 関西学院の移転

「甲東園前」駅開設から7年後の1929(昭和4)年、この駅を最寄りとする上ヶ原に関西学院が移転しました。...

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甲東園と芝川家8 幻の銀星女学院と仁川コロニー

阪神急行電鉄西宝線(現・阪急今津線)甲東園前駅が設置された翌年の1923(大正12)年、お隣に仁川駅が開設し、その翌年に日本住宅㈱社長 阿部元太郎氏、同専務 近藤喜祿氏と芝川又右衛門の間に「甲東学園設立に付覚書」という文書が交わされます。 甲東学園設立に付覚書(一部)(千島土地所蔵資料G00982_273)...

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甲東園と芝川家9 戦時下の甲東園

芝川又右衛門が手をかけて整備し、文化を育んできた甲東園も、戦争の影響を逃れることはできませんでした。 敵性宗教であるキリスト教の学校であった関西学院へは軍の風当たりも強く、学院の敷地・建物の一部を海軍航空隊に提供するなど協力を余儀なくされます。学院正門前の松林(一部は千島土地所有地)も切り払われ、グライダー訓練場となりました。...

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甲東園と芝川家10 戦後の甲東園

風光明媚で、阪急の開通により交通の便も良くなった甲東園は、戦前より土地の利用を促進するよう各方面から働きかけがあったといわれます。(*)周辺では相次いで住宅地開発が行われましたが、甲東園は開発されることがないまま、終戦を迎えました。 戦後、芝川家は甲東園をはじめ、西宮(鷲林寺(じゅうりんじ)・柏堂(かやんどう))に所有する土地の多くを売却します。きっかけは、京都の聖トマス学院...

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甲東園と芝川家11 甲東園一団地住宅経営事業

甲東園での大規模なカトリック系の教育施設建設は実現しませんでしたが、西宮市都市計画事業として「甲東園一団地住宅経営事業」の実施が検討されます。 対象地は甲東園駅の西側に広がる一帯で、その大半を所有する芝川家が設立した百又株式会社が事業にあたることになりました。 対象地位置図(千島土地所蔵資料K02_036)...

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甲東園と芝川家12 甲東園一団地工事写真【昭和27~29年頃】

先の記事でご紹介した「甲東園一団地住宅経営事業」については、750枚を超える工事写真が残っています(重複分を含む)。 ここからは順次、写真を通して工事の進捗をご紹介したいと思います。 下記の地図から、大体どの時期にどの場所で工事が行われていたかを知ることができるので、こちらも参考にしながら見ていきましょう。 年度別整地工事(千島土地所蔵資料K02_054_008_001)...

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甲東園と芝川家13 甲東園一団地工事写真【昭和29~31年頃】

工事進捗の参考資料はこちら。 年度別整地工事(千島土地所蔵資料K02_054_008_001) 昭和29年(ピンク)、昭和30年(水色)、昭和31年(グリーン)の順に工事が進みます。 土地分譲並びに建物出来高図(K02_054_008_002) この時期には住宅地らしいまちなみが整い、現在に通じる甲東園の風景が見られるようになっていきました。...

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甲東園と芝川家14 甲東園一団地工事写真【昭和30年代後半】

昭和30年代には、経営地の残りのエリア・天神山地域(上甲東園4丁目・県立西宮高校の東側、門戸天神社、神呪厳島神社周辺)の整備に着手します。しかし、前半は用地買収や神社の移転等の交渉が難航し、後半になってようやく事業に進捗が見られるようになります。 事業前(昭和36年5月:上)と整地後(昭和37年4月:下) (上:千島土地所蔵資料P63_003_051、下:P63_003_052)...

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